2014年6月9日月曜日

<スペクトルあれこれ>(6)吸収スペクトルの基音、倍音について<調和性と非調和性>


幾つかの教科書を見ると、赤外域の吸収スペクトルに対し近赤外域のスペクトルは非調和性を考慮する必要があると書いてある。赤外域の吸収スペクトルは調和振動で説明できるが、近赤外域は非調和振動を考えないとスペクトルが出てこないとあり、その後に量子力学とエネルギー準位の話が出てくる。赤外域の吸収スペクトルは重りとバネのモデルで比較的簡単に説明できるのに 近赤外の吸収スペクトルは量子力学になってしまう。なんとか簡単に非調和振動のイメージを掴めないかと考えてみた。図6Ar-1に吸収スペクトル(調和振動)の疑念図、図6Ar-2に 弦の振動における基音、倍音の考え方を示す。
                         
           

6Ar-1は一番簡単なHClの伸縮振動モデルを示しているが、この振動周波数に相当する波数(波長)がHlの吸収スペクトルになる。この振動は、バイオリンやピアノと同じように図6Ar-2の弦の振動で考えることが出来る。これだけでは何が問題なのか、良く理解できないが、HClのスペクトルから基本音を実測すると波数は2886cm-1となる。図6Ar-2からその倍音は2倍になるから5772cm-1となるはずだが、実測波数は5668cm-1となり約100cm-1ずれている。基本音は赤外の領域(4000400 cm-1)にあり、倍音は近赤外の領域(100004000cm-1)にある。約100cm-1のずれが非調和性に起因するということは、すでに深く研究されていて下表のようになる。
                                    
                              
この表を見てわかることは、非調和振動と調和振動では、基本音ですでに変わっているという点だ。基本音で何故変わるのだろう?と疑問がわく。非調和性は何かということになるが、簡単にいえば図6Ar-1のバネが変形して、例えば図6Ar-3のようになって変位と共にバネ定数が変化すると考えればよい。どんな形のバネ定数を考えればよいかということになるが、分子の非調和振動のポテンシャルエネルギーとして良く知られているものにモースの関数がある(図 6Ar-4参照)。原子間距離によってポテンシャルエネルギーは大きく変化し、平衡原子間隔を中心にしてポテンシャルの形が変わる(つまりバネ定数が変わる)と考えて良いだろう。バネ定数が変化した場合の振動(非調和振動)の解析は、フックの法則に従わないので少し複雑になる。HClのような2原子分子はより複雑なので(計算化学ではごく簡単だと思うが)、ここでは単に重い原子のCl側が固定された単振動子で考えてみる。(図 6Ar-5
          



           

バネの伸びと力の関係がフックの法則に従わない場合の式としてダフィング方程式Duffing equation)がある。 (6Ar-1式)  
                            
                                                                                                                                   ここでα>0で線形のバネ定数で、βは非線形度を表すパラメータでβ>0のものを漸硬バネ、β<0のものを漸軟バネとよぶ。β=0が線形のバネだ。βに相当する分子振動の非調和定数はすでに求められていて、HClでは0.0174だ。ダフィング方程式から、非線形状態ではどのような振動をするのか推定してみた。原子間距離が離れるとバネ定数は小さくなると考えβ<0について考える。ダフィング方程式を解析的に解くのはなかなか難しいので、微分方程式の数値解析法の一つであるルンゲクッタ法を用いてシミュレーションを行った。又その振動スペクトルピークを比較するために、ファーストフーリエ変換(FFT)を用いて非調和振動と調和振動のスペクトルを比較し、図6Ar-6と図6Ar-7に結果を示した。



          


     



非調和振動と調和振動では共振周波数(基本音の吸収ピーク)が異なり、波形も非調和振動では歪んでいることがわかる。分子の非調和振動と調和振動では基本音の波数が異なり、見ることは出来ないが振動波形も歪んでいると推定できる(量子力学的にはそんなに簡単ではないが)。 6Ar-1にある基本音の実測値と調和振動の差はこれで定性的に理解できる。しかし、実測の倍音が、実測の基本音の2倍から100cm-1もずれる理由はわからない。この説明に量子力学が必要になるのだが、基本音と倍音では、非調和定数が吸収波数に与える影響が異なる。これが100cm-1ずれる主原因になる。

基本音の吸収波数をνe、非調和定数χeとすると、HClの場合の測定される基本音νoと倍音ν_2oはエネルギー準位と選択律から以下のようになる。
             νo=νe(1-2χe)      …… (6Ar-2)
              ν_2o2×νe1-3χe…… (6Ar-3)
6Ar-2)と(6Ar-3)より、非調和定数による基本音と倍音の差は2(χe×νe)となる。χe=0.0174、νe=2990cm-1から104cm-1の差となり実測値とほぼ一致する。非調和振動は基本音の波数と振動波形を変え、倍音では量子力学の選択律から倍以上の影響を吸収波数に与えることが分かる。
















































































 






































































2014年5月4日日曜日

<文献探索から> (9) ライ麦中のデンプンの酵素加水分解のフーリエ変換型近赤外分光法によるインラインモニター:第1世代のバイオエタノール製造のための含水試料


(題名:Fourier transform-near infrared spectroscopy in-line monitoring of the enzymatic hydrolysis of starch in rye: water mashes for first-generation bioethanol production )
 著者:E. Tamburini, T. Bernard, and G. Castaldelli
 出典:Journal of Near Infrared Spectroscopy19,181-190 (2011)


【抄録】バイオ燃料のためのエタノール生産のための研究開発が盛んに行われている。EUにおいてもエタノール燃料は広く使用されている。世界的には砂糖きび、トウモロコシからバイオエタノールが製造されているがEU圏内では砂糖きび、トウモロコシはあまり育たない。ライ麦は小麦よりデンプン量が23%低いが生産コストは非常に安く、天候が不順でも育つ丈夫な作物である。しかしライ麦のバイオ燃料としての検討はあまりされていない。バイオエタノールは幾つかのデンプンを含む原材料(麦、トウモロコシ、大麦、ライ麦)から生成される。デンプンはグルコースへの加水分解の後で発酵によってエタノールへと変化する。デンプンの加水分解は異なる酵素によるいくつかのプロセスよりなる。加水分解は、最終製品の物理/化学的な性質を決定するクリティカルなプロセスである。
 デンプン穀物のバイオエタノール製造においてデンプンの加水分解は3つのステップと考えられる。第1ステップは酵素Viscozymeによる懸濁液化でデンプン粉の粘度を減少させる。第2ステップでは酵素Liquozymeを用い水溶性のデキストリンにする。第3ステップではSpirizyme Fuelを用いてグルコースを糖化するこの研究の目的はライ麦デンプンの酵素分解の3ステップを拡散反射型のプローブを使用してFT-NIRでモニター出来ないか検討することにある。   第1ステップをモニターするためBrix値用検量線、第2ステップでは Maltotriose用検量線、第3ステップでは Maltose用とGlucose用検量線を作成し、第1ステップから第3ステップまで通した実験を行い、そのスペクトルを測定し作成した検量線にあてはめ評価を行った。結果を下表に示す。                  
上記結果から、糖化プロセスの反射型プローブを用いた近赤外分光分析法のインラインモニタリングは可能である。
専門用語解説:
ViscozymeLiquozymeSpirizyme Fuel……何れも市販酵素の名前
Brix値……一般的には糖度として用いられる物理量、ここでは固形成分濃度として使用。Maltotriose……グルコースが3つ結合した糖の1種、デンプンの加水分解で生成。
Maltose……麦芽糖
Glucose……ブドウ糖
SEP……Standard Error of Prediction 
【読後感】デンプンから発酵させてエタノールを得る時、最初の段階でデンプンを糖化させる必要がある。糖から発酵させるのは酵母を使えば良いが、その前の糖化の過程を3ステップに分けて近赤外分光分析計でモニターしようとしている。拡散反射型のプローブを使いドロドロの懸濁液からスペクトルを測定している。良く測定できるなと感心。日本酒の製造過程では、このようなステップを踏まず、麹と酵母を使用して米と水から糖化と発酵がほぼ同時(?)に起こるようだ。